2019年03月31日
新年度準備
今日で平成30年度も終わり。
いろんなことが毎年あります。
「今年度は穏やかに平和だったね〜」
みたいなことは、一度もありません。。
きっとそれは、どんな組織でも同じなのでしょう。
さて。
園では、明日からの準備で終日みんなで頑張りました。
きっと、明日から新入園の保護者の方は、緊張されてる方もいらっしゃることでしょう。
「泣きっ放しだったら、どうしよう」
でも、新しい環境で、おまけにママと離れて泣くのは健全なことであり、普通なことです。
と、分かっていても不安になる親心も、健全で普通のことです。
在園児さんは進級や転園ですね。
それはそれで、やはりご不安があることでしょう。
そのようなご不安含めて「親であるからこそ」です。
何かございましたら、何でもお尋ねください。
来年度も、よろしくお願いいたします。
2019年03月27日
卒園遠足!大牟田動物園へ
今年度、最後の行事。
年長さんの「卒園遠足」
今年は、園としては初めて大牟田動物園に行くことになりました☆
着いてからの写真をご紹介していきますね
まぁ、行かれた方、みなさんきっと同じだと思います。
このアザラシに、まずは心奪われますよね。
水のない水槽で、上手に
ツイ〜ン
と移動して遊んでる二頭。
うわ〜☆
むっちゃかわいい〜♬
いくらでも見ておけそうなんだけど、とりあえずお腹も空いて来たし、混む前に食べようということで、お弁当
暖かくて、桜もきっとどんどん開いている感じ^ ^
おやつは早めに切り上げて、再び歩き出します
このモルモットさんたちも可愛かったなぁ
そしてホワイトタイガー
そして、あの暗いところにいるのは…
出て来てくれました♪
福岡市動植物園に比べればアップダウンは少ないとはいえ、
「足が疲れたー」
の声も出てきて、、
帰り道、
再びアザラシのところを行くと、今度は水が!
すいすい泳いでます
なんか、二頭がものすごーーく仲よさそうで、楽しそうに泳ぎ遊んでて、おまけに暑いから水も羨ましいし、ホントにずっと時間を忘れて見ていたい感じでした。
帰りのえんちょーまんかーでは、寝た子もいれば、おしゃべり全開なままな子もいました。
でも、もう少し遊びたいな、という気持ちもあり、最後は東公園で元気に走り回って遊びました☆
疲れてはいるのですが、我々職員も、この子達と名残惜しい気持ちもあり。。。
今年度は、「一年生になるのが心待ち!」というより「まだお別れ嫌だぁ」と言ってくれる子が多いです。
卒園式でも、式の途中や、終わってから涙が出る子もいました。
個人的には、今年度は運動会だけでなく発表会の練習でも最前線に立ち、深く関わったみんな。
ひとりひとりの成長に、それぞれ感慨深さがあり、その感慨深さや寂しさというのは、我々職員にはうまく表現できる言葉がありません。
はっきりしているのは
「ちびはるに来てくれてありがとう!」
「みんな、ほんとに頑張ったね☆」
「これからも応援してくよ」
かな。
みんなからもらった幸せ、本当にありがとう!!
2019年03月27日
2019年03月23日
卒園式 準備中
[
現在、23日18時過ぎ。
明日の卒園式の準備が始まりました。
先日行われた、一度きりのリハーサルの模様も一部ご紹介します
小さいクラスの方々も、明日は多くの方々がご出席予定です。
元気に立派に卒園していく年長さんたち。
明日もいつもの元気で来てください。
現在、23日18時過ぎ。
明日の卒園式の準備が始まりました。
先日行われた、一度きりのリハーサルの模様も一部ご紹介します
小さいクラスの方々も、明日は多くの方々がご出席予定です。
元気に立派に卒園していく年長さんたち。
明日もいつもの元気で来てください。
2019年03月08日
2019 ちびはるカップ⚽️
一度延期になり、昨日も雨。
グラウンド状況も考え、開催が危ぶまれていた「ちびはるカップ⚽️」
でしたが、なんとか青空のもと、開催となりました✨
年長年中さんのサッカー教室の集大成です!
学年別に、それぞれチームを作ります。
チームは原田園と基山園の合同チーム。
自分たちで決めたチーム名。
いろいろとツッコミどころは豊富でした
年長さんは、ヤフオクドームでの「ユニクロ杯」の影響で「ユニクロ」というチームもあり☆
これは、やはりユニクロ杯の絶大なる効果かな、と思います。大会関係者の方々や柳井社長にも喜んでいただければ^ ^
さて、
それではキックオフ⚽️
みんな頑張ったな、
という印象です
何より楽しそうでした^ ^
帰り道のバスの中でも
「楽しかった〜✨✨✨」
「ね〜楽しかったやん」
と言う声がいっぱいでした。
負けて悔しいというより、楽しかったの声がほとんどだったのが、今年度の象徴のような気もしました^ ^
年長さんは、ちびはる最後のサッカーとなりました。
閉会式で、私も自分で「今日が最後だよ」をしゃべりながらとても寂しく感じてしまった、、
年長さんたちの「え?最後?…そっか」の、その瞬間的な表情も印象的でした。
コーチの方々、今年度もありがとうございました。
間違いなく、小学生になっても、この子達にこのサッカーの体験は有意義なものとして残ることでしょう。
暑い時も寒い時も元気に走り回ったみんなも、ホントに楽しかったね
最後は優勝チームの記念写真⚽️
2019年03月03日
ある保護者の方からのお便り
いつもお世話になっております。
先生方に今回の死産の件についてご報告をしていた方が良いだろうと判断し、書き記すことに致しました。
内容が内容ですので、無理に読んでいただかなくても構いません。
ただ、今後妊娠される先生方、先生方のご親族、ちびはるのママ達に少しでもお役に立てたらと思っております。
という始まりで、ある保護者の方からお便りをいただきました。
その後、もちろんこの保護者の方に許可をいただき、このブログに掲載することにしました。
続きます
2月16日(土)妊婦検診後、作品展に行く予定にしておりました。
ところが、その健診で心拍が確認できず、主治医からは病院を紹介するからと告げられ、頭が真っ白になりました。
それからは言われるがまま、その足で久留米市の病院に向かい即日入院することになりました。
まだ妊娠4か月(14週)でしたが、最も流産しやすいと言われる8~9週は乗り越えていたため、現実を受け止めることができず、放心状態でしたし、涙があふれて自分を見失いそうでした。
ですが、その上「12週以降であれば、分娩し、火葬をしなければなりません」と言われ、もう何が何だかわからないという状況でした。
入院してからは泣いてばかりで、何が良くなかったのだろうと思い悩んでいましたが、2月19日(火)には陣痛を起こして出産することが決まってしまいましたので、母親として何が出来るかを必至で考えるよう気持ちを切り替えました。
一日中、インターネットであれやこれやと調べ、倉敷中央病院のボランティア団体が、死産した赤ちゃん用のベビー服を手作りしていることがわかり、すぐに手配したり、へその緒、手形、足形も残していただきたい旨を看護師の方へお願いしました。
また、火葬は朝一番で予約を取れば、小さな赤ちゃんでも骨や灰が残る可能性が高いことがわかり、主人に伝えて、予約をしてもらいました。
そして主人と二人で話し合い、赤ちゃんの名前も考えようということになりました。
しかし14週ですので生まれるまで性別がわからず、どちらであっても良いような名前にしようということになりました。
以上のことを2月18日(月)までに決めたのですが、その日の夜に陣痛が来て、2月18日23時20分に男の子が誕生しました。
主人と娘も駆けつけてくれてその日は皆で病室に一泊しました。息子は私が寂しくないように、そして陣痛誘発剤を怖がっていた私のために、一日早く産まれてきてくれたのではないかと思いました。
それから昨日(2月21日)火葬の日を迎えました。「14週では何も残らない可能性が高いです」と言われ、絶望的な気持ちでしたが、奇跡的にお骨が残り「お骨が残ることは稀有なことです。」と言われ、本当に心から嬉しく思いました。
今回の件は、これまでの人生で最もつらいことでしたが、沢山のことを教えてもらったようにも思います。
私は無いものねだりをついしてしまう性格で、恥ずかしいことに1人目が帝王切開であったため、自然分娩でなかったこと、今後自然分娩をすることはないだろうということに劣等感を持っていました。
また、男の子が欲しい、男の子が良かったとも思っていました。そんな私の情けない思いを叶えるために私の元に来てくれたのかなと思いました。
そしてここからの話は、本当に純粋に今後妊娠される方のために正直に書きますので、変に思われないようにお願いします。
実はもともと通っていた産婦人科の先生に久留米の病院を紹介される際に「こういう出産は引き受けてくれんもんね…」と言われていました。
それが入院中ずっと胸に引っかかっていました。
そして入院先の先生には「妊娠中何か変わったことや気がかりなことはなかったですか?」と言われ、妊娠初期に娘がリンゴ病になったことを言うと、血液検査を勧められました。
悩みましたが、ハッキリさせたところでどうだろうと思い、一旦お断りをしました。
その後出産日を迎え、産んだ直後に先生とお話をしました。
思い切って「このような出産は引き受けてくれないと伺いました。が、先生の病院ではなぜ受け入れてくれたのですか?」と聞いてみると「やっぱり誰もが嫌がります。でも誰かがしなければならない。私は筑後地区の責任者でもあるから」と正直に答えてくださいました。
そこで「もし私がリンゴ病の血液検査を行えば、何かお役に立てますか?」と聞くと
「医療は統計で成り立っています。リンゴ病は大人が感染すると約半数は不顕性感染で症状がでません。今回の検査を受けていただくことで、死産の原因がわかる可能性もありますし、今後の妊婦の健診にも有効なデータとなりうる場合があります。私は医者として受けていただきたいと思います」
と言われました。
これを聞いて、先生への感謝の気持ちも込めて、一旦お断りした検査を受けることにしました。
結果は次の通院時になるためまだわかりません。どちらにせよ、先生方にもご報告したいと思っております。
今後の妊婦さんのために少しでもお役に立ちたいという思いがあるからです。
前述しました通り、今回の妊娠は結果的に悲しい結果のようですが、幸せを感じることも沢山ありました。
両家の親きょうだいが寄り添ってくれ、久しい友人は一緒に悲しんでくれました。
主人からは「赤ちゃんが寂しがって、ママまで連れて行ってしまわないか怖かった」と言われ、私は息子のために何が出来るかばかりを考えていたのに、そうやって私を必要としてくれているんだと気づかされ胸がいっぱいになりました。
娘には「赤ちゃんは?」と聞かれ、「もうお腹にはいないよ」と言うと、なぜか空を指さして「あっち?赤ちゃん元気になったと?」と言い返され、涙があふれ出ました。3歳でも何か感じ取っているんでしょうか。
恐らく息子は今ある幸せを大切にするように教えてくれたんだと思います。
何気ない毎日が本当に一番幸せなんだということを命をかけて私に伝えたかったんだろうと、今は思えてきているところです。
なので、これからも今まで通りご対応いただけると有難いです。変に気を遣われなくて大丈夫です。
ちなみに息子の名前は「悠月(ゆづき)」と言います。娘に「悠月におはようを言おう」など言っているので、ちびはるで先生たちにお話しすることがあるかもしれません。主人が「月を見れば皆が思い出せるように」「いつもあなたを想っています」といった意味を込めて考えてくれました。イマドキの字並びになったね(笑)とも言っていましたが…
ここから話がガラッと変わりますが、作品展のアルバム(*制作帳のことです。当園の毎月の制作帳は、制作のページの裏ページに写真が貼ってあるので)、本当に本当にありがとうございました。毎日お忙しいのに、あんなにきれいにまとめて頂いて、感激しました。
またブログにも載せていただき光栄です(*作品展の親子作品のいくつかをブログにアップした中に、このご家庭の作品も含まれていたので)。図工美術はいつも5段階の3しか取ったことがなく、コンクールに入選できたような気持ちです。
それから花粉症の園長先生にお伝えしてほしいのですが、私はあちこち出張するので出張先でいろんな社員と話をするのですが、花粉症がひどい方が沖縄に転勤になって花粉症がなくなったそうです。
沖縄は亜熱帯なのでスギやヒノキはないそうです。
老後、沖縄への移住、もしくは別荘を沖縄に建てて花粉の時期だけ別荘暮らしはいかがでしょうか…(笑)ご検討ください。
大変長くなりましたが、読んでくださった先生方ありがとうございます。
それと今後とも何卒、よろしくお願いいたします。
以上となります。
私(園長)の気持ちを綴るのは、ここでは意味がないと思うので省きます。
ひとつだけお伝えしたいのは、このお手紙を書いてくださったことに深く深く感謝しています、ということです。
その、書いていただいたお気持ち、私なりにしっかりと理解できているつもりです。
そのうえで、あらためて保育という仕事に向き合って参ります。
ありがとうございました。
先生方に今回の死産の件についてご報告をしていた方が良いだろうと判断し、書き記すことに致しました。
内容が内容ですので、無理に読んでいただかなくても構いません。
ただ、今後妊娠される先生方、先生方のご親族、ちびはるのママ達に少しでもお役に立てたらと思っております。
という始まりで、ある保護者の方からお便りをいただきました。
その後、もちろんこの保護者の方に許可をいただき、このブログに掲載することにしました。
続きます
2月16日(土)妊婦検診後、作品展に行く予定にしておりました。
ところが、その健診で心拍が確認できず、主治医からは病院を紹介するからと告げられ、頭が真っ白になりました。
それからは言われるがまま、その足で久留米市の病院に向かい即日入院することになりました。
まだ妊娠4か月(14週)でしたが、最も流産しやすいと言われる8~9週は乗り越えていたため、現実を受け止めることができず、放心状態でしたし、涙があふれて自分を見失いそうでした。
ですが、その上「12週以降であれば、分娩し、火葬をしなければなりません」と言われ、もう何が何だかわからないという状況でした。
入院してからは泣いてばかりで、何が良くなかったのだろうと思い悩んでいましたが、2月19日(火)には陣痛を起こして出産することが決まってしまいましたので、母親として何が出来るかを必至で考えるよう気持ちを切り替えました。
一日中、インターネットであれやこれやと調べ、倉敷中央病院のボランティア団体が、死産した赤ちゃん用のベビー服を手作りしていることがわかり、すぐに手配したり、へその緒、手形、足形も残していただきたい旨を看護師の方へお願いしました。
また、火葬は朝一番で予約を取れば、小さな赤ちゃんでも骨や灰が残る可能性が高いことがわかり、主人に伝えて、予約をしてもらいました。
そして主人と二人で話し合い、赤ちゃんの名前も考えようということになりました。
しかし14週ですので生まれるまで性別がわからず、どちらであっても良いような名前にしようということになりました。
以上のことを2月18日(月)までに決めたのですが、その日の夜に陣痛が来て、2月18日23時20分に男の子が誕生しました。
主人と娘も駆けつけてくれてその日は皆で病室に一泊しました。息子は私が寂しくないように、そして陣痛誘発剤を怖がっていた私のために、一日早く産まれてきてくれたのではないかと思いました。
それから昨日(2月21日)火葬の日を迎えました。「14週では何も残らない可能性が高いです」と言われ、絶望的な気持ちでしたが、奇跡的にお骨が残り「お骨が残ることは稀有なことです。」と言われ、本当に心から嬉しく思いました。
今回の件は、これまでの人生で最もつらいことでしたが、沢山のことを教えてもらったようにも思います。
私は無いものねだりをついしてしまう性格で、恥ずかしいことに1人目が帝王切開であったため、自然分娩でなかったこと、今後自然分娩をすることはないだろうということに劣等感を持っていました。
また、男の子が欲しい、男の子が良かったとも思っていました。そんな私の情けない思いを叶えるために私の元に来てくれたのかなと思いました。
そしてここからの話は、本当に純粋に今後妊娠される方のために正直に書きますので、変に思われないようにお願いします。
実はもともと通っていた産婦人科の先生に久留米の病院を紹介される際に「こういう出産は引き受けてくれんもんね…」と言われていました。
それが入院中ずっと胸に引っかかっていました。
そして入院先の先生には「妊娠中何か変わったことや気がかりなことはなかったですか?」と言われ、妊娠初期に娘がリンゴ病になったことを言うと、血液検査を勧められました。
悩みましたが、ハッキリさせたところでどうだろうと思い、一旦お断りをしました。
その後出産日を迎え、産んだ直後に先生とお話をしました。
思い切って「このような出産は引き受けてくれないと伺いました。が、先生の病院ではなぜ受け入れてくれたのですか?」と聞いてみると「やっぱり誰もが嫌がります。でも誰かがしなければならない。私は筑後地区の責任者でもあるから」と正直に答えてくださいました。
そこで「もし私がリンゴ病の血液検査を行えば、何かお役に立てますか?」と聞くと
「医療は統計で成り立っています。リンゴ病は大人が感染すると約半数は不顕性感染で症状がでません。今回の検査を受けていただくことで、死産の原因がわかる可能性もありますし、今後の妊婦の健診にも有効なデータとなりうる場合があります。私は医者として受けていただきたいと思います」
と言われました。
これを聞いて、先生への感謝の気持ちも込めて、一旦お断りした検査を受けることにしました。
結果は次の通院時になるためまだわかりません。どちらにせよ、先生方にもご報告したいと思っております。
今後の妊婦さんのために少しでもお役に立ちたいという思いがあるからです。
前述しました通り、今回の妊娠は結果的に悲しい結果のようですが、幸せを感じることも沢山ありました。
両家の親きょうだいが寄り添ってくれ、久しい友人は一緒に悲しんでくれました。
主人からは「赤ちゃんが寂しがって、ママまで連れて行ってしまわないか怖かった」と言われ、私は息子のために何が出来るかばかりを考えていたのに、そうやって私を必要としてくれているんだと気づかされ胸がいっぱいになりました。
娘には「赤ちゃんは?」と聞かれ、「もうお腹にはいないよ」と言うと、なぜか空を指さして「あっち?赤ちゃん元気になったと?」と言い返され、涙があふれ出ました。3歳でも何か感じ取っているんでしょうか。
恐らく息子は今ある幸せを大切にするように教えてくれたんだと思います。
何気ない毎日が本当に一番幸せなんだということを命をかけて私に伝えたかったんだろうと、今は思えてきているところです。
なので、これからも今まで通りご対応いただけると有難いです。変に気を遣われなくて大丈夫です。
ちなみに息子の名前は「悠月(ゆづき)」と言います。娘に「悠月におはようを言おう」など言っているので、ちびはるで先生たちにお話しすることがあるかもしれません。主人が「月を見れば皆が思い出せるように」「いつもあなたを想っています」といった意味を込めて考えてくれました。イマドキの字並びになったね(笑)とも言っていましたが…
ここから話がガラッと変わりますが、作品展のアルバム(*制作帳のことです。当園の毎月の制作帳は、制作のページの裏ページに写真が貼ってあるので)、本当に本当にありがとうございました。毎日お忙しいのに、あんなにきれいにまとめて頂いて、感激しました。
またブログにも載せていただき光栄です(*作品展の親子作品のいくつかをブログにアップした中に、このご家庭の作品も含まれていたので)。図工美術はいつも5段階の3しか取ったことがなく、コンクールに入選できたような気持ちです。
それから花粉症の園長先生にお伝えしてほしいのですが、私はあちこち出張するので出張先でいろんな社員と話をするのですが、花粉症がひどい方が沖縄に転勤になって花粉症がなくなったそうです。
沖縄は亜熱帯なのでスギやヒノキはないそうです。
老後、沖縄への移住、もしくは別荘を沖縄に建てて花粉の時期だけ別荘暮らしはいかがでしょうか…(笑)ご検討ください。
大変長くなりましたが、読んでくださった先生方ありがとうございます。
それと今後とも何卒、よろしくお願いいたします。
以上となります。
私(園長)の気持ちを綴るのは、ここでは意味がないと思うので省きます。
ひとつだけお伝えしたいのは、このお手紙を書いてくださったことに深く深く感謝しています、ということです。
その、書いていただいたお気持ち、私なりにしっかりと理解できているつもりです。
そのうえで、あらためて保育という仕事に向き合って参ります。
ありがとうございました。
Posted by すぎはら at
11:45
│園長のちょっと真面目な想い