2020年08月30日
20年 その③ 「寄付への思い」
寄付について、園長の個人的な想いを簡単に
当たり前のことですが、人の命には限りがあり、もちろん私も例外ではありません。
私の場合「残り30年くらいの時間しか残っていない」と言っても、そんなに悲観的な考え方ではない年齢になりました。
男子校高校生のころ「いかに女の子にモテるか」が頭の中のほぼ全てだった私(笑)。
今はわが子の子育ても終わり、自分が人生に求める夢や価値観もさすがに高校生の時とは違ってきました。
今の私の夢は、自分の人生が終わろうとするベッドの上で
「俺って、愛の人だったな。そのことを誇りに思えるな」
と感じることです。
貯金通帳残高がたとえゼロひとつ多くても、自分の生き方に自分が後悔してしまう生き方、終わり方はしたくないな、と思うんです。
自分に与えられていた時間に対して、自分が納得したいじゃないですか。
結局のところ、我々は宇宙という気の遠くなるような時間における一瞬の存在でしかなく、ほどなく灰になって壺に入るわけです。
ならば、どうせなら自分に納得した生き方をしたい、どうせなら自分の愛に誇りを持ちたい、そう思って目を閉じたいと思っています。
…壮大な感じですねw 高校生の時とはやはりだいぶ違います(笑)
我々は愛の人です。
例えばお母さん。
朝起きて、いや、夜中からわが子が布団をはいでないかなどを気にして眠り、まだ寝たいのに起きて家族のために頑張ります。
仕事でもきっと他に人の迷惑にならないようにとか、できるだけ効率よくとか、
場合によっては体調の悪そうな人を心配したり、あるいは自分が体調悪くても、家族のため職場のために頑張ったりします。
そして頭の中で夕飯のことや買うべきものも考えて保育園にお迎えに行き、そこからバタバタと。。。
ずっと「みんなにとって、家族にとって良かれと思うこと」を考える愛の人なのです。
忙しさで子どもとゆっくり話せてないなという感覚も、
時として自分の人生の選択が全て上手くいっていないように感じる瞬間も、
その自己嫌悪も、
そのイライラも、
全部頑張っているからであり、その根っこは「愛」だと思いませんか。
そう、みんな愛の人なのです。
自分の根本には愛があることを、どんどん肯定的に捉えていきましょう。
そのみなさんの愛の詰まった保育料を、愛の人であろうとする私の愛で、難病児やそのご家族にお届けします。
きっとそこには愛の笑顔が咲くことでしょう。
Posted by すぎはら at
11:49
│園長のちょっと真面目な想い
2020年08月30日
20年 その② 「寄付について 難病児支援」
難病児と、そのご家族への支援
みなさまから頂く保育料から、園児さんおひとりにつき毎月100円を、日本財団の「難病児支援」に寄付いたします。
無償化対象の園児さん分も含みますので、ちびはる保育園の園児さん全員がこの寄付に関与することになります(保護者の方のご負担は増えません)。
詳しくは日本財団のHPをご覧いただきたいのですが
https://www.nippon-foundation.or.jp/what/projects/supporting_seriously_ill_children
ここではその文中から一部だけご紹介いたします。
小児がんや心臓の病気など、とても重い病気で常に治療と向き合っている子どもは全国に14万人以上。
その中には病院と家との往復が生活の中心となり、厳しい治療を強いられる子どもも少なくありません。
「何で自分だけが病気なの?」
「学校に行きたい、友達と遊びたい」、という言葉を受け止める両親の辛い気持ちは想像に難くありません。
「病気になった原因は親にあるのではないか?」
「できることなら自分が代わってあげたい」
という出口のない思いに何度も何度も押しつぶされそうになりながら、小さな命を守るために懸命に頑張っている家族に私たちは何が出来るでしょうか。
「日本財団HP 難病児支援 より一部抜粋」
私たちには寄付が出来ます
そしてその寄付金は、
例えば
「日中の一時保育施設の建設費用(兄弟の運動会の際に預かってくれたり、お母さんの体調が優れないときなどに利用)」
「家族と離れ離れで長期入院している子へのプレゼント」
「呼吸器や車いすなどの制限により旅行に行けない家族のために安心して旅行やキャンプなどを楽しんでもらう活動(HPにはこうあります。『私たちにとっては当たり前のことでも、家族にとっては一生の思い出です』)」
などに使用されます。
2020年9月より、みなさまからの保育料の一部を、この活動のための寄付させていただくことにしました。
Posted by すぎはら at
11:45
│園長のちょっと真面目な想い
2020年08月30日
20年 その① 「20年、続いたその自分のために」
20年前の今ごろ、私は開園の準備に必死でした。
原田の、現在井出ちゃんぽん前の二階に小さなテナントを借りて(当時は一階がレンタルビデオやさんでした。今は美容室ですね)
私は主にポスティングを毎日していました。この季節にポスティングしてた自分の若さを思い知ります笑 52歳-20年ですね。
今なら炎天下を2時間ポスティングで歩いたら、間違いなく3日間はゴロゴロしてるだろうなぁ。。
当時は希みが丘地区がだいぶ家が建ってきて、美鈴が丘はほぼ空き地ばかりといった時代。
原田にマルキョウはまだなかったですね。
原田駅前も舗装されてなくて、改札の機械がないばかりか無人駅的な「切符はこの箱に入れてください」がありました。
20年。
いろんなことがありました。
良いことも、感動の涙も、そして悔しいことも、大反省も。
…大反省が一番多いですね。。
開園10周年の時には、特に意識はなかったのですが、20周年はそれなりに感慨深いものがあります。
そこで「自分なりに20周年を記念した何かをしたい」とぼんやりと思っていました。
至らなさ満載で何もわかってない自分
経営上の怖さに何度もドロップアウトしたくて、そのドロップアウトできる理由を探していたあの頃
国民年金でさえ、あまりの収入のなさに支払を国から免除されてたあの頃
さて
「その20年の節目に何をしよう」
「自己満足だけではない、意義のあるものを」
結果、寄付を行うことにしました。
これは、今度あらためて保護者の方々に配布し、お知らせさせていただきますが、ブログを読んでくださっている方々に、一足早くお知らせいたします。
今度の9月分の保育料からです。
詳しくは次のブログで。
Posted by すぎはら at
10:30
│園長のちょっと真面目な想い
2020年05月20日
我々はもっと自分の頑張りを肯定していい気がします
緊急事態宣言が、とりあえずは解除されました。
「とりあえずは」を念のために付け足しておかないと、油断となって第二波・第三波になりそうなので、付け足すわけですが、それでも「当たり前の日常」が少しずつ戻ってきましたね。
極めて入手困難だった時期に、マスクやアルコール消毒液を寄付していただいた保護者の方
また、日々の連絡帳にて我々を激励してくださった保護者の方
本当にありがとうございました。
また、緊急事態宣言でもお仕事があった方々、
あるいは公園にもろくに行けない中でお子様のことを想って家庭保育をされた方々、
大変ご苦労様でした。
強権的に外出禁止にしたり、個人管理を国が徹底するのではなく、あくまでも個人のモラルに任せて「国民へのお願い」という形での緊急事態宣言。
しかもこのGWという「日本人がもっともお出かけしたい時期」を乗り切ったその国民性を、私はやっぱり誇りに思いたい。
園児さんたちの遠足やその他行事なども、段階的に状況を考慮しながら、ちびはるらしく行っていこうと思います。
ブログ更新も、どうしても気が重くてできなかったのですが、ここからまた楽しんで更新していきます♪
Posted by すぎはら at
13:46
│園長のちょっと真面目な想い
2020年01月04日
今年は…
今年はちびはる保育園、20歳になる年✨
園児さん、保護者の方々、そして先生たちの期待に応えられるよう、今年も私は頑張ります!
また、4月にはChibiharu ZERO-TWOという、0〜2歳児さんの小規模保育施設が基山に新たに開園する予定✨
代表取締役を務める「病児保育のスタンドバイ」(病児保育スタンドバイ.com)も一月から更なるサービス「スペシャルおうちDAY」が加わりパワーアップ✨
某贔屓のプロ野球チームも、きっと今年は20なん年ぶりにw優勝してくれるばす!
過去と今とに多くの方々のご支援があっての今日であることに感謝して、
すごく腹が立って負けてたまるかと思わせてくれた人にも感謝してw
今年もみなさまと良い年にしていきましょう(^^)
今年もよろしくお願いいたします
Posted by すぎはら at
10:37
│園長のちょっと真面目な想い
2019年07月17日
19時からは
17時過ぎに縄跳び終わった年長さんをそれぞれの園に送り届けたら…
19時からは、県庁前の シマウマほいくえん さんで、保育研修がありました。
私はこの20年近く、ほぼ他園の情報に耳を塞いで生きておりました。。
というのは、自分の感覚を他園の情報で惑わせたくないな、とか、自分の中で「ま、どこも他園はしてないからウチも無理だよな」を作りたくないな、という意識もあり。。
そういうガラパゴス的な成長をしてきたように思います。
でも、やはり他園の取り組みを聞くと学べますね✨
今日もみなさんありがとうございました^ ^
勉強になりました!
Posted by すぎはら at
22:37
│園長のちょっと真面目な想い
2019年03月03日
ある保護者の方からのお便り
いつもお世話になっております。
先生方に今回の死産の件についてご報告をしていた方が良いだろうと判断し、書き記すことに致しました。
内容が内容ですので、無理に読んでいただかなくても構いません。
ただ、今後妊娠される先生方、先生方のご親族、ちびはるのママ達に少しでもお役に立てたらと思っております。
という始まりで、ある保護者の方からお便りをいただきました。
その後、もちろんこの保護者の方に許可をいただき、このブログに掲載することにしました。
続きます
2月16日(土)妊婦検診後、作品展に行く予定にしておりました。
ところが、その健診で心拍が確認できず、主治医からは病院を紹介するからと告げられ、頭が真っ白になりました。
それからは言われるがまま、その足で久留米市の病院に向かい即日入院することになりました。
まだ妊娠4か月(14週)でしたが、最も流産しやすいと言われる8~9週は乗り越えていたため、現実を受け止めることができず、放心状態でしたし、涙があふれて自分を見失いそうでした。
ですが、その上「12週以降であれば、分娩し、火葬をしなければなりません」と言われ、もう何が何だかわからないという状況でした。
入院してからは泣いてばかりで、何が良くなかったのだろうと思い悩んでいましたが、2月19日(火)には陣痛を起こして出産することが決まってしまいましたので、母親として何が出来るかを必至で考えるよう気持ちを切り替えました。
一日中、インターネットであれやこれやと調べ、倉敷中央病院のボランティア団体が、死産した赤ちゃん用のベビー服を手作りしていることがわかり、すぐに手配したり、へその緒、手形、足形も残していただきたい旨を看護師の方へお願いしました。
また、火葬は朝一番で予約を取れば、小さな赤ちゃんでも骨や灰が残る可能性が高いことがわかり、主人に伝えて、予約をしてもらいました。
そして主人と二人で話し合い、赤ちゃんの名前も考えようということになりました。
しかし14週ですので生まれるまで性別がわからず、どちらであっても良いような名前にしようということになりました。
以上のことを2月18日(月)までに決めたのですが、その日の夜に陣痛が来て、2月18日23時20分に男の子が誕生しました。
主人と娘も駆けつけてくれてその日は皆で病室に一泊しました。息子は私が寂しくないように、そして陣痛誘発剤を怖がっていた私のために、一日早く産まれてきてくれたのではないかと思いました。
それから昨日(2月21日)火葬の日を迎えました。「14週では何も残らない可能性が高いです」と言われ、絶望的な気持ちでしたが、奇跡的にお骨が残り「お骨が残ることは稀有なことです。」と言われ、本当に心から嬉しく思いました。
今回の件は、これまでの人生で最もつらいことでしたが、沢山のことを教えてもらったようにも思います。
私は無いものねだりをついしてしまう性格で、恥ずかしいことに1人目が帝王切開であったため、自然分娩でなかったこと、今後自然分娩をすることはないだろうということに劣等感を持っていました。
また、男の子が欲しい、男の子が良かったとも思っていました。そんな私の情けない思いを叶えるために私の元に来てくれたのかなと思いました。
そしてここからの話は、本当に純粋に今後妊娠される方のために正直に書きますので、変に思われないようにお願いします。
実はもともと通っていた産婦人科の先生に久留米の病院を紹介される際に「こういう出産は引き受けてくれんもんね…」と言われていました。
それが入院中ずっと胸に引っかかっていました。
そして入院先の先生には「妊娠中何か変わったことや気がかりなことはなかったですか?」と言われ、妊娠初期に娘がリンゴ病になったことを言うと、血液検査を勧められました。
悩みましたが、ハッキリさせたところでどうだろうと思い、一旦お断りをしました。
その後出産日を迎え、産んだ直後に先生とお話をしました。
思い切って「このような出産は引き受けてくれないと伺いました。が、先生の病院ではなぜ受け入れてくれたのですか?」と聞いてみると「やっぱり誰もが嫌がります。でも誰かがしなければならない。私は筑後地区の責任者でもあるから」と正直に答えてくださいました。
そこで「もし私がリンゴ病の血液検査を行えば、何かお役に立てますか?」と聞くと
「医療は統計で成り立っています。リンゴ病は大人が感染すると約半数は不顕性感染で症状がでません。今回の検査を受けていただくことで、死産の原因がわかる可能性もありますし、今後の妊婦の健診にも有効なデータとなりうる場合があります。私は医者として受けていただきたいと思います」
と言われました。
これを聞いて、先生への感謝の気持ちも込めて、一旦お断りした検査を受けることにしました。
結果は次の通院時になるためまだわかりません。どちらにせよ、先生方にもご報告したいと思っております。
今後の妊婦さんのために少しでもお役に立ちたいという思いがあるからです。
前述しました通り、今回の妊娠は結果的に悲しい結果のようですが、幸せを感じることも沢山ありました。
両家の親きょうだいが寄り添ってくれ、久しい友人は一緒に悲しんでくれました。
主人からは「赤ちゃんが寂しがって、ママまで連れて行ってしまわないか怖かった」と言われ、私は息子のために何が出来るかばかりを考えていたのに、そうやって私を必要としてくれているんだと気づかされ胸がいっぱいになりました。
娘には「赤ちゃんは?」と聞かれ、「もうお腹にはいないよ」と言うと、なぜか空を指さして「あっち?赤ちゃん元気になったと?」と言い返され、涙があふれ出ました。3歳でも何か感じ取っているんでしょうか。
恐らく息子は今ある幸せを大切にするように教えてくれたんだと思います。
何気ない毎日が本当に一番幸せなんだということを命をかけて私に伝えたかったんだろうと、今は思えてきているところです。
なので、これからも今まで通りご対応いただけると有難いです。変に気を遣われなくて大丈夫です。
ちなみに息子の名前は「悠月(ゆづき)」と言います。娘に「悠月におはようを言おう」など言っているので、ちびはるで先生たちにお話しすることがあるかもしれません。主人が「月を見れば皆が思い出せるように」「いつもあなたを想っています」といった意味を込めて考えてくれました。イマドキの字並びになったね(笑)とも言っていましたが…
ここから話がガラッと変わりますが、作品展のアルバム(*制作帳のことです。当園の毎月の制作帳は、制作のページの裏ページに写真が貼ってあるので)、本当に本当にありがとうございました。毎日お忙しいのに、あんなにきれいにまとめて頂いて、感激しました。
またブログにも載せていただき光栄です(*作品展の親子作品のいくつかをブログにアップした中に、このご家庭の作品も含まれていたので)。図工美術はいつも5段階の3しか取ったことがなく、コンクールに入選できたような気持ちです。
それから花粉症の園長先生にお伝えしてほしいのですが、私はあちこち出張するので出張先でいろんな社員と話をするのですが、花粉症がひどい方が沖縄に転勤になって花粉症がなくなったそうです。
沖縄は亜熱帯なのでスギやヒノキはないそうです。
老後、沖縄への移住、もしくは別荘を沖縄に建てて花粉の時期だけ別荘暮らしはいかがでしょうか…(笑)ご検討ください。
大変長くなりましたが、読んでくださった先生方ありがとうございます。
それと今後とも何卒、よろしくお願いいたします。
以上となります。
私(園長)の気持ちを綴るのは、ここでは意味がないと思うので省きます。
ひとつだけお伝えしたいのは、このお手紙を書いてくださったことに深く深く感謝しています、ということです。
その、書いていただいたお気持ち、私なりにしっかりと理解できているつもりです。
そのうえで、あらためて保育という仕事に向き合って参ります。
ありがとうございました。
先生方に今回の死産の件についてご報告をしていた方が良いだろうと判断し、書き記すことに致しました。
内容が内容ですので、無理に読んでいただかなくても構いません。
ただ、今後妊娠される先生方、先生方のご親族、ちびはるのママ達に少しでもお役に立てたらと思っております。
という始まりで、ある保護者の方からお便りをいただきました。
その後、もちろんこの保護者の方に許可をいただき、このブログに掲載することにしました。
続きます
2月16日(土)妊婦検診後、作品展に行く予定にしておりました。
ところが、その健診で心拍が確認できず、主治医からは病院を紹介するからと告げられ、頭が真っ白になりました。
それからは言われるがまま、その足で久留米市の病院に向かい即日入院することになりました。
まだ妊娠4か月(14週)でしたが、最も流産しやすいと言われる8~9週は乗り越えていたため、現実を受け止めることができず、放心状態でしたし、涙があふれて自分を見失いそうでした。
ですが、その上「12週以降であれば、分娩し、火葬をしなければなりません」と言われ、もう何が何だかわからないという状況でした。
入院してからは泣いてばかりで、何が良くなかったのだろうと思い悩んでいましたが、2月19日(火)には陣痛を起こして出産することが決まってしまいましたので、母親として何が出来るかを必至で考えるよう気持ちを切り替えました。
一日中、インターネットであれやこれやと調べ、倉敷中央病院のボランティア団体が、死産した赤ちゃん用のベビー服を手作りしていることがわかり、すぐに手配したり、へその緒、手形、足形も残していただきたい旨を看護師の方へお願いしました。
また、火葬は朝一番で予約を取れば、小さな赤ちゃんでも骨や灰が残る可能性が高いことがわかり、主人に伝えて、予約をしてもらいました。
そして主人と二人で話し合い、赤ちゃんの名前も考えようということになりました。
しかし14週ですので生まれるまで性別がわからず、どちらであっても良いような名前にしようということになりました。
以上のことを2月18日(月)までに決めたのですが、その日の夜に陣痛が来て、2月18日23時20分に男の子が誕生しました。
主人と娘も駆けつけてくれてその日は皆で病室に一泊しました。息子は私が寂しくないように、そして陣痛誘発剤を怖がっていた私のために、一日早く産まれてきてくれたのではないかと思いました。
それから昨日(2月21日)火葬の日を迎えました。「14週では何も残らない可能性が高いです」と言われ、絶望的な気持ちでしたが、奇跡的にお骨が残り「お骨が残ることは稀有なことです。」と言われ、本当に心から嬉しく思いました。
今回の件は、これまでの人生で最もつらいことでしたが、沢山のことを教えてもらったようにも思います。
私は無いものねだりをついしてしまう性格で、恥ずかしいことに1人目が帝王切開であったため、自然分娩でなかったこと、今後自然分娩をすることはないだろうということに劣等感を持っていました。
また、男の子が欲しい、男の子が良かったとも思っていました。そんな私の情けない思いを叶えるために私の元に来てくれたのかなと思いました。
そしてここからの話は、本当に純粋に今後妊娠される方のために正直に書きますので、変に思われないようにお願いします。
実はもともと通っていた産婦人科の先生に久留米の病院を紹介される際に「こういう出産は引き受けてくれんもんね…」と言われていました。
それが入院中ずっと胸に引っかかっていました。
そして入院先の先生には「妊娠中何か変わったことや気がかりなことはなかったですか?」と言われ、妊娠初期に娘がリンゴ病になったことを言うと、血液検査を勧められました。
悩みましたが、ハッキリさせたところでどうだろうと思い、一旦お断りをしました。
その後出産日を迎え、産んだ直後に先生とお話をしました。
思い切って「このような出産は引き受けてくれないと伺いました。が、先生の病院ではなぜ受け入れてくれたのですか?」と聞いてみると「やっぱり誰もが嫌がります。でも誰かがしなければならない。私は筑後地区の責任者でもあるから」と正直に答えてくださいました。
そこで「もし私がリンゴ病の血液検査を行えば、何かお役に立てますか?」と聞くと
「医療は統計で成り立っています。リンゴ病は大人が感染すると約半数は不顕性感染で症状がでません。今回の検査を受けていただくことで、死産の原因がわかる可能性もありますし、今後の妊婦の健診にも有効なデータとなりうる場合があります。私は医者として受けていただきたいと思います」
と言われました。
これを聞いて、先生への感謝の気持ちも込めて、一旦お断りした検査を受けることにしました。
結果は次の通院時になるためまだわかりません。どちらにせよ、先生方にもご報告したいと思っております。
今後の妊婦さんのために少しでもお役に立ちたいという思いがあるからです。
前述しました通り、今回の妊娠は結果的に悲しい結果のようですが、幸せを感じることも沢山ありました。
両家の親きょうだいが寄り添ってくれ、久しい友人は一緒に悲しんでくれました。
主人からは「赤ちゃんが寂しがって、ママまで連れて行ってしまわないか怖かった」と言われ、私は息子のために何が出来るかばかりを考えていたのに、そうやって私を必要としてくれているんだと気づかされ胸がいっぱいになりました。
娘には「赤ちゃんは?」と聞かれ、「もうお腹にはいないよ」と言うと、なぜか空を指さして「あっち?赤ちゃん元気になったと?」と言い返され、涙があふれ出ました。3歳でも何か感じ取っているんでしょうか。
恐らく息子は今ある幸せを大切にするように教えてくれたんだと思います。
何気ない毎日が本当に一番幸せなんだということを命をかけて私に伝えたかったんだろうと、今は思えてきているところです。
なので、これからも今まで通りご対応いただけると有難いです。変に気を遣われなくて大丈夫です。
ちなみに息子の名前は「悠月(ゆづき)」と言います。娘に「悠月におはようを言おう」など言っているので、ちびはるで先生たちにお話しすることがあるかもしれません。主人が「月を見れば皆が思い出せるように」「いつもあなたを想っています」といった意味を込めて考えてくれました。イマドキの字並びになったね(笑)とも言っていましたが…
ここから話がガラッと変わりますが、作品展のアルバム(*制作帳のことです。当園の毎月の制作帳は、制作のページの裏ページに写真が貼ってあるので)、本当に本当にありがとうございました。毎日お忙しいのに、あんなにきれいにまとめて頂いて、感激しました。
またブログにも載せていただき光栄です(*作品展の親子作品のいくつかをブログにアップした中に、このご家庭の作品も含まれていたので)。図工美術はいつも5段階の3しか取ったことがなく、コンクールに入選できたような気持ちです。
それから花粉症の園長先生にお伝えしてほしいのですが、私はあちこち出張するので出張先でいろんな社員と話をするのですが、花粉症がひどい方が沖縄に転勤になって花粉症がなくなったそうです。
沖縄は亜熱帯なのでスギやヒノキはないそうです。
老後、沖縄への移住、もしくは別荘を沖縄に建てて花粉の時期だけ別荘暮らしはいかがでしょうか…(笑)ご検討ください。
大変長くなりましたが、読んでくださった先生方ありがとうございます。
それと今後とも何卒、よろしくお願いいたします。
以上となります。
私(園長)の気持ちを綴るのは、ここでは意味がないと思うので省きます。
ひとつだけお伝えしたいのは、このお手紙を書いてくださったことに深く深く感謝しています、ということです。
その、書いていただいたお気持ち、私なりにしっかりと理解できているつもりです。
そのうえで、あらためて保育という仕事に向き合って参ります。
ありがとうございました。
Posted by すぎはら at
11:45
│園長のちょっと真面目な想い
2019年01月03日
新年ですね(^^)
みなさま、新年あけましておめでとうございます(^^)
年末の挨拶くらいはブログでもしておきたかったのですが、なんだかんだと過ぎ去っていってしまいました。
何かをクリアすれば、すぐに次の問題が沸き起こってきて追われているこの「エンドレス 一難去ってまた一難感」は、どうなんですかね、退職すれば終わるんですかね。。
ま、それはもう少し先なので今想像しても意味はないですね。
園は明日から再び開園☆
保育室での子どもたちの元気な声も、また復活ですね。
今年もよろしくお願いいたします
Posted by すぎはら at
19:45
│園長のちょっと真面目な想い
2018年01月03日
謹賀新年
明けましておめでとうございます。
去年を振り返って
「今年は去年よりはマシな一年にしたい」
という方も
「去年も良かったがもっと良い年にしたい」
という方も
あるいは「忙しすぎて、目の前の毎日だけに追われたし、きっと今年も追われるだろう」
という方も。。
一日の中にあるささやかな幸せは意識した方が間違いなく「得」なので、普通に仕事始めになることにも感謝しつつ、
その日常が戻る気の重さも「健康で出勤できるからこそ感じられる気の重さ」とか無理やり思ったりしながら、また明日を迎えましょう。
今年もそんな感じで頑張ります!
Posted by すぎはら at
20:02
│園長のちょっと真面目な想い
2016年12月26日
前回ブログ続き 神としての、鹿実新体操部 2
(前回からの続きです)
で、そしたら、なんとお返事もらえたんです!
すっごく嬉しくて開封すると、お手紙とDVDが!!
で、お手紙の内容を簡単にご紹介すると
「早速生徒とDVDを拝見し、園児のみなさんの元気いっぱいの演技にとても感動いたしました。
縄跳びもですが、音楽にあった動きや隊形移動も素晴らしかったです。相当な時間をかけて練習されたのでしょう、よくまとまっているパフォーマンスでした。
今年、私たちはオリエンタルラジオの「パーフェクトヒューマン」と「ウルトラタイガー」の音楽に合わせ、長縄演技をしました。先日南日本放送で放送されましたので、お送りいたします。園児のみなさんにも興味をもっていただけたら幸いです」
というお手紙をいただけたんです~~~( ;∀;)
構成や年長さんが頑張った練習をわかっていただけることも、すっごく嬉しかったです☆
で、もちろんDVDも観させていただきました☆
これまたすごかったです!!
自分に迷ったり、悔やんだりすることが人生だとも言えますが、
このような感動があると、本当に嬉しく幸せです。
鹿児島実業高校新体操部のみなさん、
みなさんの演技が、我々や子どもたちに大きな夢を与えていること、どこかで覚えておいてください。
本当にありがとうございました。
Posted by すぎはら at
13:47
│園長のちょっと真面目な想い