育児書の綺麗事~育児書みたいにできるかっ!~①

すぎはら

2012年06月16日 14:45

書店に行って育児書コーナーの前に立ちます。

例えば「しつけ」に関することだけでも、いろいろなタイトルがあります。
それだけで「しつけといっても、いろいろな考え方があり、諸説様々なんだなぁ」ということがわかりますよね。ダイエット方法が諸説様々なのと同じで、こどもをよりよく成長させるにも諸説様々なんだと。
そしてダイエットと同様、育児方法にもちゃんと「ブーム」があります。


さて、私はここで「しつけ」や「こどもへの親の接し方」について文章にしていきます。
もちろん私の意見も諸説様々な育児論のひとつでしかありません。
なんとなく共感していただければ読み進んでもらえるでしょうし、そうでなければそこまでです。こういうのって結局は自分の感覚に近いものは受け入れられるし、そうでなければ認められないものですから。


さてさて…ではまず最初に。。。

私が感じている「育児書の罪」についてです。「育児書が与えるストレス」といってもいいでしょう。

例えば「魔法の言葉でストレスフリーなハッピー子育て」というようなタイトルの育児書。どう思いますか?本当に子育てってそんな感じで気軽で楽しい雰囲気のものでしょうか。
普通に生きていくだけでもストレスは多いのに、親としての重たい責任をしょっていて、果たしてストレスフリーなハッピー子育てって可能でしょうか。

「『ダメ』と言ってはいけない」というタイプの本も多いですね。

1歳になり月齢が進むにつれ「ダメなものはダメ」としっかり教えてあげないといけないことも現実的には多い中で「『ダメ』といってはいけない」と言われても困ってしまいます。
「ほめることの大切さ」は本当にとっても大切です。でも「ダメ」と言わねばならないこともありますし、それも育児の上で大事なことのひとつです。

「『ダメ』と言ってはいけない」という言葉ばかりが独り歩きしているように思いますね。
育児書のコーナーに立つのは、育児を真面目に考えているお母さんです。そのお母さんは「ダメといってはいけないんだ」と否が応でもインプットされます。


私が怖いのは、そこでそのお母さんが「私はどうしてもダメと言ってしまう。母親として失格かもしれない」「育児がちゃんとできていない、愛情や我慢強さに欠けた母親なんだ」と自信を失ってしまうことです。


我々は親になったからといって、神になったわけでも、仏になったわけでも、ロボットになったわけでもありません。
「人間だもの」 そりゃ感情的にもなりますよ。
何事でも真剣になればなるほど、ちょっとしたことで感情が揺れ動きます。ましてや「わが子供の子育て」という重大なことの最前線に立つ母親が、その重い責任をなんとかよりよく果たそうとするとき「どんなときにも冷静さを保つ」なんてできません。そんなの当ったり前のことです。

その当ったり前のことを、育児書によっては否定してきます。


誤解はないと思いますが、私は「感情に任せてこどもに当たり散らしていいんです」と言っているわけではありません。

感情的に叱ったりしてしまうことも含め、それは「普通の育児」であり「誰にだってあること」であり、「だからといって母親失格的な気分になる必要は全くないのだ」ということを言いたいのです。育児書の理想論に縛られないで欲しいんです。


今回はここまで。
「育児書みたいにできるかっ!」ということで続きを載せていこうと思います。綺麗事や理想論ではなく、現実的な育児論として。


* 写真はアメリカの育児雑誌の日本語版です。
お国変われば、という感じで、この特集は「ノーと言える親になる!」です。こどもには厳しく「ダメ」を言わなければならないことがあるのに、最近はその勇気を親が持たず、こどもはどんどん精神的に甘くなり、大人になったときに社会に適合できなくなるので、勇気をもって「ダメ」を言おう」という内容です。
「ダメ」と言ってしまうお母さん、アメリカでは立派なお母さんということです。

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