いつもお世話になっております。
先生方に今回の死産の件についてご報告をしていた方が良いだろうと判断し、書き記すことに致しました。
内容が内容ですので、無理に読んでいただかなくても構いません。
ただ、今後妊娠される先生方、先生方のご親族、ちびはるのママ達に少しでもお役に立てたらと思っております。
という始まりで、ある保護者の方からお便りをいただきました。
その後、もちろんこの保護者の方に許可をいただき、このブログに掲載することにしました。
続きます
2月16日(土)妊婦検診後、作品展に行く予定にしておりました。
ところが、その健診で心拍が確認できず、主治医からは病院を紹介するからと告げられ、頭が真っ白になりました。
それからは言われるがまま、その足で久留米市の病院に向かい即日入院することになりました。
まだ妊娠4か月(14週)でしたが、最も流産しやすいと言われる8~9週は乗り越えていたため、現実を受け止めることができず、放心状態でしたし、涙があふれて自分を見失いそうでした。
ですが、その上「12週以降であれば、分娩し、火葬をしなければなりません」と言われ、もう何が何だかわからないという状況でした。
入院してからは泣いてばかりで、何が良くなかったのだろうと思い悩んでいましたが、2月19日(火)には陣痛を起こして出産することが決まってしまいましたので、母親として何が出来るかを必至で考えるよう気持ちを切り替えました。
一日中、インターネットであれやこれやと調べ、倉敷中央病院のボランティア団体が、死産した赤ちゃん用のベビー服を手作りしていることがわかり、すぐに手配したり、へその緒、手形、足形も残していただきたい旨を看護師の方へお願いしました。
また、火葬は朝一番で予約を取れば、小さな赤ちゃんでも骨や灰が残る可能性が高いことがわかり、主人に伝えて、予約をしてもらいました。
そして主人と二人で話し合い、赤ちゃんの名前も考えようということになりました。
しかし14週ですので生まれるまで性別がわからず、どちらであっても良いような名前にしようということになりました。
以上のことを2月18日(月)までに決めたのですが、その日の夜に陣痛が来て、2月18日23時20分に男の子が誕生しました。
主人と娘も駆けつけてくれてその日は皆で病室に一泊しました。息子は私が寂しくないように、そして陣痛誘発剤を怖がっていた私のために、一日早く産まれてきてくれたのではないかと思いました。
それから昨日(2月21日)火葬の日を迎えました。「14週では何も残らない可能性が高いです」と言われ、絶望的な気持ちでしたが、奇跡的にお骨が残り「お骨が残ることは稀有なことです。」と言われ、本当に心から嬉しく思いました。
今回の件は、これまでの人生で最もつらいことでしたが、沢山のことを教えてもらったようにも思います。
私は無いものねだりをついしてしまう性格で、恥ずかしいことに1人目が帝王切開であったため、自然分娩でなかったこと、今後自然分娩をすることはないだろうということに劣等感を持っていました。
また、男の子が欲しい、男の子が良かったとも思っていました。そんな私の情けない思いを叶えるために私の元に来てくれたのかなと思いました。
そしてここからの話は、本当に純粋に今後妊娠される方のために正直に書きますので、変に思われないようにお願いします。
実はもともと通っていた産婦人科の先生に久留米の病院を紹介される際に「こういう出産は引き受けてくれんもんね…」と言われていました。
それが入院中ずっと胸に引っかかっていました。
そして入院先の先生には「妊娠中何か変わったことや気がかりなことはなかったですか?」と言われ、妊娠初期に娘がリンゴ病になったことを言うと、血液検査を勧められました。
悩みましたが、ハッキリさせたところでどうだろうと思い、一旦お断りをしました。
その後出産日を迎え、産んだ直後に先生とお話をしました。
思い切って「このような出産は引き受けてくれないと伺いました。が、先生の病院ではなぜ受け入れてくれたのですか?」と聞いてみると「やっぱり誰もが嫌がります。でも誰かがしなければならない。私は筑後地区の責任者でもあるから」と正直に答えてくださいました。
そこで「もし私がリンゴ病の血液検査を行えば、何かお役に立てますか?」と聞くと
「医療は統計で成り立っています。リンゴ病は大人が感染すると約半数は不顕性感染で症状がでません。今回の検査を受けていただくことで、死産の原因がわかる可能性もありますし、今後の妊婦の健診にも有効なデータとなりうる場合があります。私は医者として受けていただきたいと思います」
と言われました。
これを聞いて、先生への感謝の気持ちも込めて、一旦お断りした検査を受けることにしました。
結果は次の通院時になるためまだわかりません。どちらにせよ、先生方にもご報告したいと思っております。
今後の妊婦さんのために少しでもお役に立ちたいという思いがあるからです。
前述しました通り、今回の妊娠は結果的に悲しい結果のようですが、幸せを感じることも沢山ありました。
両家の親きょうだいが寄り添ってくれ、久しい友人は一緒に悲しんでくれました。
主人からは「赤ちゃんが寂しがって、ママまで連れて行ってしまわないか怖かった」と言われ、私は息子のために何が出来るかばかりを考えていたのに、そうやって私を必要としてくれているんだと気づかされ胸がいっぱいになりました。
娘には「赤ちゃんは?」と聞かれ、「もうお腹にはいないよ」と言うと、なぜか空を指さして「あっち?赤ちゃん元気になったと?」と言い返され、涙があふれ出ました。3歳でも何か感じ取っているんでしょうか。
恐らく息子は今ある幸せを大切にするように教えてくれたんだと思います。
何気ない毎日が本当に一番幸せなんだということを命をかけて私に伝えたかったんだろうと、今は思えてきているところです。
なので、これからも今まで通りご対応いただけると有難いです。変に気を遣われなくて大丈夫です。
ちなみに息子の名前は「悠月(ゆづき)」と言います。娘に「悠月におはようを言おう」など言っているので、ちびはるで先生たちにお話しすることがあるかもしれません。主人が「月を見れば皆が思い出せるように」「いつもあなたを想っています」といった意味を込めて考えてくれました。イマドキの字並びになったね(笑)とも言っていましたが…
ここから話がガラッと変わりますが、作品展のアルバム(*制作帳のことです。当園の毎月の制作帳は、制作のページの裏ページに写真が貼ってあるので)、本当に本当にありがとうございました。毎日お忙しいのに、あんなにきれいにまとめて頂いて、感激しました。
またブログにも載せていただき光栄です(*作品展の親子作品のいくつかをブログにアップした中に、このご家庭の作品も含まれていたので)。図工美術はいつも5段階の3しか取ったことがなく、コンクールに入選できたような気持ちです。
それから花粉症の園長先生にお伝えしてほしいのですが、私はあちこち出張するので出張先でいろんな社員と話をするのですが、花粉症がひどい方が沖縄に転勤になって花粉症がなくなったそうです。
沖縄は亜熱帯なのでスギやヒノキはないそうです。
老後、沖縄への移住、もしくは別荘を沖縄に建てて花粉の時期だけ別荘暮らしはいかがでしょうか…(笑)ご検討ください。
大変長くなりましたが、読んでくださった先生方ありがとうございます。
それと今後とも何卒、よろしくお願いいたします。
以上となります。
私(園長)の気持ちを綴るのは、ここでは意味がないと思うので省きます。
ひとつだけお伝えしたいのは、このお手紙を書いてくださったことに深く深く感謝しています、ということです。
その、書いていただいたお気持ち、私なりにしっかりと理解できているつもりです。
そのうえで、あらためて保育という仕事に向き合って参ります。
ありがとうございました。