2014年05月08日
思うだけか、伝えるか、の大きな差
つい最近、自分の身に起こったことです。
長いし、特に面白い話ではないけれど、個人的にとても印象的なことでしたので、ご興味があればご拝読ください。
私と妻と娘(支援学校中等部一年生。知的にも身体的にも障がいあり、移動のときは車いすを保育者が押す必要があります)と、そして私の母で西区のあるお店でランチをしたときの話です。
その時、我々家族はそれなりに落ち込んでいました。見に行った息子の部活の試合がとても残念な結果だったからです。
自分の母親とはいえ、わざわざ母も見に来てくれた試合でしたし、通常以上に残念に感じていました。試合の勝ち負けだけでなく、いくつかショックなこともあり、正直に言えば「一時的ではあれ、絶望的な気分」といった感じでした。
お昼には少し早い時間でしたが、その後の予定を考えるとここで昼食を食べておく必要がありました。そこでその試合があった場所のすぐそばにあるお店に入ることにしました。それなりに雰囲気のよいお店です。
どんなお店でもそうなのですが、障がいのある車いすの娘と入店するのは、どうしても夫婦二人でお店に入るのとは違います。おまけに予約もしていません。恐る恐る、といった感じで「障がいのある娘と、大人三人ですが大丈夫でしょうか」と尋ねることになります。
そして、そこからはお店によって(あるいは案内してくれる店員さんによって)、多少の違いが出ます。
私が恐る恐る尋ねた店員さんは、おそらく50代の女性です。
そして、その方だけでなく、その後部屋を案内してくださった方も含め、これまでに経験ないほどの親切な対応をしていただきました。
気持ちの良い和室の個室に通して頂き、メニューを選んで、そして注文。
早くもその段階で、すっかり我々は幸せな気分になり、「なんかさっきの試合のことやら忘れるやん?」と私が言って笑ったほどです。
料理もとてもとても美味しかったのですが、その美味しさにはその店のみなさんの笑顔や配慮、プロとしての誇りや、人としての優しさも大いに加点されていたように思います。
さて。ここからが本題です。
食事も終わろうとしたときに「よろしければ、当店で食事をされてのご感想をいただけないでしょうか」ということで、小さな紙とボールペンを持ってこられました。
私はそこに、よしきたとばかりに今感じている思いを書きました。
障がい児がいると、外食というのはいろいろ考えて入店せねばならず、どうしても肩身が狭い思いをしながらの食事になることが多い。しかし今日はみなさんのおかげでとても幸せな気持ちで食事ができた。私たちが感動し、幸せを感じていることを、今日勤務されている方々にわかっていただきたい。本当にありがとうございました。
そんな内容です。
そして私はそれを書き、本当に幸せな気持ちになりました。
ポイントはこのアンケート用紙なんです。
もしこの紙がなければ、お店を出るときに「美味しかったですし、また是非来させてください」を、言うか言わないかで終わりだったと思います。
私の気持ちも十分に形にならないまま「いいお店だったなぁ」で終わりです。
ところがこの用紙のおかげで、私はしっかりと気持ちを具体的に言葉に替えることができ、感謝を伝えることができました。
そして伝えることができたことで自分が幸せを感じているんです。
感謝したいことに対して、ちゃんと感謝を伝えられた満足感。ありがとうを言いたいときに、心からありがとうを言えた時の幸福感。
心の中で思うだけの「ありがとう」と、しっかり伝えることができた「ありがとう」の差。
ありがとうを伝えた相手が喜んだかどうかではなく、自分が伝えることができたことが一番大きな幸せなんだと、今回強く感じました。
そして、もし日常に埋もれてしまっている「ありがとう」があるならば、やはりそれも思うだけでなく、伝えることで「自分も」幸せな気持ちになれるのだろうな、と感じます。
「ありがとうの大切さ」みたいにまとめると、とても平凡な話ですし退屈だったかもしれません。
でも、わが子に「ありがとうを言える子になってほしい」というのは、親であればみなが思うことですよね。
とりあえず、自分発信で「ありがとう」を言っていきたいなと、私は改めて思っています。
★ 後日談として
このお店から、はがきですが直筆でお礼の手紙が届きました。「温かい言葉をありがとうございました」という内容です。お店のキャンペーンとかの告知ではなく、ただのはがきに直筆で。
「直筆の力」も、改めて感じましたし、その行き届いた心遣いに、また感動させられました。
長いし、特に面白い話ではないけれど、個人的にとても印象的なことでしたので、ご興味があればご拝読ください。
私と妻と娘(支援学校中等部一年生。知的にも身体的にも障がいあり、移動のときは車いすを保育者が押す必要があります)と、そして私の母で西区のあるお店でランチをしたときの話です。
その時、我々家族はそれなりに落ち込んでいました。見に行った息子の部活の試合がとても残念な結果だったからです。
自分の母親とはいえ、わざわざ母も見に来てくれた試合でしたし、通常以上に残念に感じていました。試合の勝ち負けだけでなく、いくつかショックなこともあり、正直に言えば「一時的ではあれ、絶望的な気分」といった感じでした。
お昼には少し早い時間でしたが、その後の予定を考えるとここで昼食を食べておく必要がありました。そこでその試合があった場所のすぐそばにあるお店に入ることにしました。それなりに雰囲気のよいお店です。
どんなお店でもそうなのですが、障がいのある車いすの娘と入店するのは、どうしても夫婦二人でお店に入るのとは違います。おまけに予約もしていません。恐る恐る、といった感じで「障がいのある娘と、大人三人ですが大丈夫でしょうか」と尋ねることになります。
そして、そこからはお店によって(あるいは案内してくれる店員さんによって)、多少の違いが出ます。
私が恐る恐る尋ねた店員さんは、おそらく50代の女性です。
そして、その方だけでなく、その後部屋を案内してくださった方も含め、これまでに経験ないほどの親切な対応をしていただきました。
気持ちの良い和室の個室に通して頂き、メニューを選んで、そして注文。
早くもその段階で、すっかり我々は幸せな気分になり、「なんかさっきの試合のことやら忘れるやん?」と私が言って笑ったほどです。
料理もとてもとても美味しかったのですが、その美味しさにはその店のみなさんの笑顔や配慮、プロとしての誇りや、人としての優しさも大いに加点されていたように思います。
さて。ここからが本題です。
食事も終わろうとしたときに「よろしければ、当店で食事をされてのご感想をいただけないでしょうか」ということで、小さな紙とボールペンを持ってこられました。
私はそこに、よしきたとばかりに今感じている思いを書きました。
障がい児がいると、外食というのはいろいろ考えて入店せねばならず、どうしても肩身が狭い思いをしながらの食事になることが多い。しかし今日はみなさんのおかげでとても幸せな気持ちで食事ができた。私たちが感動し、幸せを感じていることを、今日勤務されている方々にわかっていただきたい。本当にありがとうございました。
そんな内容です。
そして私はそれを書き、本当に幸せな気持ちになりました。
ポイントはこのアンケート用紙なんです。
もしこの紙がなければ、お店を出るときに「美味しかったですし、また是非来させてください」を、言うか言わないかで終わりだったと思います。
私の気持ちも十分に形にならないまま「いいお店だったなぁ」で終わりです。
ところがこの用紙のおかげで、私はしっかりと気持ちを具体的に言葉に替えることができ、感謝を伝えることができました。
そして伝えることができたことで自分が幸せを感じているんです。
感謝したいことに対して、ちゃんと感謝を伝えられた満足感。ありがとうを言いたいときに、心からありがとうを言えた時の幸福感。
心の中で思うだけの「ありがとう」と、しっかり伝えることができた「ありがとう」の差。
ありがとうを伝えた相手が喜んだかどうかではなく、自分が伝えることができたことが一番大きな幸せなんだと、今回強く感じました。
そして、もし日常に埋もれてしまっている「ありがとう」があるならば、やはりそれも思うだけでなく、伝えることで「自分も」幸せな気持ちになれるのだろうな、と感じます。
「ありがとうの大切さ」みたいにまとめると、とても平凡な話ですし退屈だったかもしれません。
でも、わが子に「ありがとうを言える子になってほしい」というのは、親であればみなが思うことですよね。
とりあえず、自分発信で「ありがとう」を言っていきたいなと、私は改めて思っています。
★ 後日談として
このお店から、はがきですが直筆でお礼の手紙が届きました。「温かい言葉をありがとうございました」という内容です。お店のキャンペーンとかの告知ではなく、ただのはがきに直筆で。
「直筆の力」も、改めて感じましたし、その行き届いた心遣いに、また感動させられました。
20年 その③ 「寄付への思い」
20年 その② 「寄付について 難病児支援」
20年 その① 「20年、続いたその自分のために」
我々はもっと自分の頑張りを肯定していい気がします
今年は…
19時からは
20年 その② 「寄付について 難病児支援」
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我々はもっと自分の頑張りを肯定していい気がします
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Posted by すぎはら at 20:23│Comments(0)
│園長のちょっと真面目な想い