2018年07月02日
半世紀
すごい逆境を乗り越えた人や、豪快で楽天的な生きざまを見たり聞いたりしたときに
「ファッ! なんやそれに比べて俺の生きざま! 小さいことクヨクヨしたり、なんてみみっちい生きざまやねん!
一度きりの人生やないかい! よし!金は天下の回り物やで。 これからは自分の気持ちのまま、明るく自由に生きたるでぇ~ ブワァッハッハッ!」
とか思う。
しかし(ま、例えば今朝のことなんだけど)桜台駅前の西銀のCDで数冊の通帳記入し、園で電卓叩いたりすれば、このブワァッハッハッ!はもう見事に消えていき、なんなら一瞬でもブワァッハッハッ的に自分を感じたことの方をみじめに感じたりしてしまう。
なんなん、自分。。。
…というよなことの繰り返しで、半世紀ほど生きてきました。
思えばこの 「THE 自分」 ともいうべきものとの戦いというか、やりくりというか、それがこれまでの50年な気がするな。
まったくもって面倒なこの「THE 自分」、でも時間経過とともに、この不憫さにも愛着が少~しは湧いてきたかも、の「THE 自分」。
今後もよろしく、やな。
けど、ひいきの野球チームが負けてるからって 「はぁ~あ… なんもかんも、面白くないことばっかやな」 になる癖はなんとかしてくれ~(^^;
Posted by すぎはら at
18:18
│園長のど~でもいい話