2014年11月15日
整骨院で考えた「悔しさ体験」の重要性
運動会が終わって2週間になります。
改めて印象深く記憶に残っているのは「自分のブロックが勝ったときの喜びを表現する子どもたちの姿」です。
ちびはる保育園の運動会は、3つのブロックで対抗して、勝負を競う「ブロック対抗」の運動会です。
自分のブロックが勝ち名乗りを受ければ、みんな歓喜して喜びます。
そのように「チームのみんなで歓喜して喜ぶ姿」というのは、なかなかご家庭では見ることがないことでしょう。
おそらく保護者の方々も、そのシーンに新鮮な感動を感じた方もいらっしゃるのではないでしょうか。子どもたち自身にとっても「みんなと一緒にこんなに歓喜した体験」というのは、これまでなかったかもしれません。
喜びの裏には悔しさがあります。
昨日、マラソン大会でしたが、一位になれずに悔しくて涙が出た子もいました。
この「悔し涙」を、みなさんはどう考えますか?
私は「悔し涙」は「一生懸命挑戦した証し」だと思いますし、成長過程において極めて重要な体験(貴重な体験)だと思っています。もし、いろんなことが上手くいき、優越感だけ感じて悔しさを知らない幼児期を送ってしまうと、それなりにその先が大変だと思いませんか。
ところが、最近はかけっこをして順位も付けない傾向が強いようで、先日行った整骨院で「マラソン大会で順位を付ける」と言うと、すごく驚かれてしまいました。「よくこのご時世にそんなことできますね」と言われました。その整骨院の先生のお子様が行かれている保育園では考えられないようでした。
「みんな頑張ったからみんな一番」という傾向はいつから生まれたのでしょうか。
悲しい思いをさせないようにさせないように、悔しい思いをさせないようにさせないように、とにかく褒めて褒めてなんでも褒めて…そんな保育は「現実社会離れ」した保育であり、結果的にその現実社会に向き合う時のハンディにしかならないように思います。小学生になればクラスにいろんな子がいます。勉強で点数もつきますよ。その時にその「褒めて守っての無菌保育」は、その子にどう影響してくるでしょうか。
「悲しい時、悔しい時にどう自分が対処するか」は、経験でしか学べません。教科書から覚えるものではないのです。
だとするならば、その機会は奪わない方が良いのではないでしょうか。
幼児期に一番大切なことは「自己肯定感をしっかり心に植え付けること」です。
これは片親だとか経済的にどうしたとかと関係ありません。
「例えあなたがかけっこで一番になれなくても、あるいはビリであっても、私のあなたへの愛情は全く変わらないからね」という安心感を、日常の中で育んであげることです。
その自己肯定感をその子が持てていれば、悔しい体験は次の前向きな挑戦への大きなエネルギーに代わることでしょう。自己肯定感がなければ「またパパとママの期待に応えられなかった」という挫折感だけが残ります。そしてそれは、親の顔色、他人の顔色を気にしすぎる傾向が増し、その子の幸せにプラスにならないかもしれません。
「悔しい体験」というのは「結果を伴わなかっただけの、一生懸命頑張れた体験」です。
一位になりたくてなれなくて悔し涙を流したならば、もしかしたらそれは一位になるより貴重な体験ができたことになるのかもしれません。
お友達と比較して「〇〇ちゃんは出来ているのにどうしてあなたは出来ないの」と言いつつ、何か言われて都合が悪くなると「他人は他人。ウチはウチ」というセリフは、親として最低の声掛けとして有名ですが、「自分の子どもの評価を、お友達との比較でしかできない親」「その比較の優劣で、愛情さえ左右される親」…そんな大人たちが巡り巡って「かけっこはみんな一番」を作ったのかなという気もします。
ついつい親心が高じて、お友達との比較で一喜一憂することがあるならば、そっと「世界で一つだけの花」を口ずさんでみてください。
そして、悔しい体験をしたわが子を、オンリーワンな愛情で包んであげてください。
改めて印象深く記憶に残っているのは「自分のブロックが勝ったときの喜びを表現する子どもたちの姿」です。
ちびはる保育園の運動会は、3つのブロックで対抗して、勝負を競う「ブロック対抗」の運動会です。
自分のブロックが勝ち名乗りを受ければ、みんな歓喜して喜びます。
そのように「チームのみんなで歓喜して喜ぶ姿」というのは、なかなかご家庭では見ることがないことでしょう。
おそらく保護者の方々も、そのシーンに新鮮な感動を感じた方もいらっしゃるのではないでしょうか。子どもたち自身にとっても「みんなと一緒にこんなに歓喜した体験」というのは、これまでなかったかもしれません。
喜びの裏には悔しさがあります。
昨日、マラソン大会でしたが、一位になれずに悔しくて涙が出た子もいました。
この「悔し涙」を、みなさんはどう考えますか?
私は「悔し涙」は「一生懸命挑戦した証し」だと思いますし、成長過程において極めて重要な体験(貴重な体験)だと思っています。もし、いろんなことが上手くいき、優越感だけ感じて悔しさを知らない幼児期を送ってしまうと、それなりにその先が大変だと思いませんか。
ところが、最近はかけっこをして順位も付けない傾向が強いようで、先日行った整骨院で「マラソン大会で順位を付ける」と言うと、すごく驚かれてしまいました。「よくこのご時世にそんなことできますね」と言われました。その整骨院の先生のお子様が行かれている保育園では考えられないようでした。
「みんな頑張ったからみんな一番」という傾向はいつから生まれたのでしょうか。
悲しい思いをさせないようにさせないように、悔しい思いをさせないようにさせないように、とにかく褒めて褒めてなんでも褒めて…そんな保育は「現実社会離れ」した保育であり、結果的にその現実社会に向き合う時のハンディにしかならないように思います。小学生になればクラスにいろんな子がいます。勉強で点数もつきますよ。その時にその「褒めて守っての無菌保育」は、その子にどう影響してくるでしょうか。
「悲しい時、悔しい時にどう自分が対処するか」は、経験でしか学べません。教科書から覚えるものではないのです。
だとするならば、その機会は奪わない方が良いのではないでしょうか。
幼児期に一番大切なことは「自己肯定感をしっかり心に植え付けること」です。
これは片親だとか経済的にどうしたとかと関係ありません。
「例えあなたがかけっこで一番になれなくても、あるいはビリであっても、私のあなたへの愛情は全く変わらないからね」という安心感を、日常の中で育んであげることです。
その自己肯定感をその子が持てていれば、悔しい体験は次の前向きな挑戦への大きなエネルギーに代わることでしょう。自己肯定感がなければ「またパパとママの期待に応えられなかった」という挫折感だけが残ります。そしてそれは、親の顔色、他人の顔色を気にしすぎる傾向が増し、その子の幸せにプラスにならないかもしれません。
「悔しい体験」というのは「結果を伴わなかっただけの、一生懸命頑張れた体験」です。
一位になりたくてなれなくて悔し涙を流したならば、もしかしたらそれは一位になるより貴重な体験ができたことになるのかもしれません。
お友達と比較して「〇〇ちゃんは出来ているのにどうしてあなたは出来ないの」と言いつつ、何か言われて都合が悪くなると「他人は他人。ウチはウチ」というセリフは、親として最低の声掛けとして有名ですが、「自分の子どもの評価を、お友達との比較でしかできない親」「その比較の優劣で、愛情さえ左右される親」…そんな大人たちが巡り巡って「かけっこはみんな一番」を作ったのかなという気もします。
ついつい親心が高じて、お友達との比較で一喜一憂することがあるならば、そっと「世界で一つだけの花」を口ずさんでみてください。
そして、悔しい体験をしたわが子を、オンリーワンな愛情で包んであげてください。
2014年11月15日
マラソン大会 くま・ぞう組
金曜日、くま組・ぞう組さんのマラソン大会を行いました。
春はそれぞれの園で、学年別に行うマラソン大会。
秋のマラソン大会は「両園合同」で「学年・男女別」に行います。
いろいろ思うところはあるのですが、とりあえずその様子の写真をご紹介(^.^)
子どもたちの頑張る姿、真剣な表情、負けて流す涙。。。
成長も感じます。その成長の感動もあるのですが、何よりその「真剣な姿・最後まで(かなり苦しいと思うのですが)頑張ってゴールする姿」が、純粋に胸を打ちます。
応援に来ていただいた保護者の方には、きっと私がここで言いたいことがお分かりになるのではないでしょうか。
くま・ぞう組さんたちみんなの頑張りに、元気や明るさをいっぱいもらいました。みんなありがとう(^.^) よくがんばりました。
春はそれぞれの園で、学年別に行うマラソン大会。
秋のマラソン大会は「両園合同」で「学年・男女別」に行います。
いろいろ思うところはあるのですが、とりあえずその様子の写真をご紹介(^.^)
子どもたちの頑張る姿、真剣な表情、負けて流す涙。。。
成長も感じます。その成長の感動もあるのですが、何よりその「真剣な姿・最後まで(かなり苦しいと思うのですが)頑張ってゴールする姿」が、純粋に胸を打ちます。
応援に来ていただいた保護者の方には、きっと私がここで言いたいことがお分かりになるのではないでしょうか。
くま・ぞう組さんたちみんなの頑張りに、元気や明るさをいっぱいもらいました。みんなありがとう(^.^) よくがんばりました。